2011年11月20日日曜日

結婚記念日旅行 その2

Miramont Castle のミステリーとは・・・フランスの身分の高い貴族の息子のフランコロン神父はなぜ彼と母親二人だけのために46部屋もあるこの城を住まいとして建てさせたのか?そしてなぜ1900年に城を捨て去りフランスに戻ってしまったのか?(母親は1900年にフランスに戻りすぐに死亡しましたが、神父はフランスに戻ったかどうかも定かではないらしいのです)実際にこの城に神父とその母親が暮らしたのは1895年に城の建築が開始されて、97年に東側の増築が完成し移り住んでからたったの3年余りだったことになります。



フランコロン神父がどうして突然城を捨てて忽然と行方をくらませたか一説にはこんな話があります。神父には彼が小児性愛者で児童買春を強要したとの噂があり、それを修道院長(女性の)が酷く責めて、すべてを公衆の面前にさらけ出すと脅し、それに反して神父は修道院長に“お前は数年のうちに死ぬことになるであろう!”と、呪いをかけたのです。 神父の噂はあっという間に村人達の間に広まり、城の建築を任されたAngus Gillisの耳にまで届きます。Angusが馬車で街を通っている時に怒り狂った群集が城に向かって行くのを目撃し、彼は大急ぎで神父に知らせ、自分の馬車に神父を乗せ毛布を被せてかくまいながら、コロラドスプリングスまで送って行き、そこからヨーロッパに向けて神父を逃がしたのでした。

これには身の毛のよだつ様な後書きがあるのです。1901年の8月、Durango からSilverton に向かう列車の事故で神父から呪いをかけられたあの修道院長が惨死してしまったのです。

城の部屋はどれも一癖あり、中には16面もの壁がある部屋もあります。沢山の隠し扉や使用人専用の通路が迷路のように巡らせてあるそうですが、現在そのほとんどが見学通路から外されています。(たぶん迷子になったりするからでしょうか?)




台所には昔ながらの道具が所狭しと置いてあります。110何年前にはここで沢山のメイドさん達が忙しく料理をしていたのでしょうか?
ダイニングルームにもクリスマスのデコレーションがしてありました。テーブルの真ん中には大きな七面鳥が似合いそうですね。違う文献ではフランコロン神父は機会があるごとに子供達を城に招いてご馳走を振舞ったと記されていました。神父の本当の姿はどちらだったのでしょう?



城のあちらこちらに飾ってある1メートル以上から等身大の人形・・・日中は良いのですが、これ薄暗くなったらかなり気味悪いかもしれません。ステンドグラスは文句なしに美しいですが。





神父の建てたお城には小さいながらもチャペルがあります。このチャペルも怪奇現象が起きるスポットの一つだそうです。訪れた観光客や従業員が時々異様な冷気を感じたり、誰もいないのに足音が聞こえたり、ビクトリア調のドレスやタキシードを着た紳士淑女を見かけたり、と現象も様々です。
城にある家具や装飾品、調度品はそれは高価な物が多く、フランスから神父の母親が送ったり、取り寄せたりした物がほとんどで、母親の寝ていたベッドはなんとあのナポレオン皇帝の妹が使用していた物だそうです。
この日は日曜日だったため城の見学は12時からでした。私達が一番乗りでかつただ一組のお客でした。(少なくとも私達が中にいる間は他の方はどなたもお見えになりませんでした)みんな日曜はお昼まで教会でその後少しずつ混むそうです。常駐の城の住人(???)は夕方がお好みだそうで、爺婆はこれと言って何も感ぜずでした。



さあ、いよいよ3階へ・・・

0 件のコメント: